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土屋公雄のブログ

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風景と記憶
久しぶりに神田の街を歩いた。
すでに30年という歳月が流れていた。否、そうではない。たった30年しか経ってはいないのだ、と僕は久しぶりにやって来た神田の路地の途中で考える。
大学卒業後、僕は画廊巡りや、版画の材料を買いに、月に2・3度はこの界隈を歩き回っていた。30年前は、通りと路地の間に、小さな商店や家屋がぎっしりと建て詰った街であったが、今ではすっかりオフィスビルの建ち並ぶ街へと変わっていた。
ただ今でも、ビルとビルの間には、人が一人通り抜けられるほどの狭い路地は残っており、その路地の奥には、懐かしい商店や、とろけ出しそうな空き家、そして空地もいくつか残っていた。路地の向こうには、建設中のマンションであろうか、クレーンが巨大な鉄骨を吊り上げている。いずれは空き家や、小さな空地や路地は一つにまとめられ、やがてそこにも大きなオフィスビルかマンションが建てられるのであろう。
今あるこの小さな家屋や路地が消え、巨大なビルが建ち並ぶとき、僕たちは小さな路地や商店・家屋が連続していた、この街の記憶を脳裏から喪失していくのだ。
否、僕は決してセンチメンタルな思いに浸っているわけではない。ただ、そのあまりの変化の速さ、スケールの大きさに、僕の記憶の機能が対応しきれなくなっているのである。特に最近の建築は、ひたすら効率を優先するあまり個性も乏しく、一つ一つの風景が、独立して僕の記憶に浮かび上がってこないのである。
この事は、今や僕たちは実感の無い、記憶の中で再現できない街をさ迷っていることになる。

かつて、英国の美術史家イエーツは「記憶術」の中で、ローマ時代の弁士達は、記憶力を磨く為に、街や建築といった風景の記憶を利用したと記している。この記憶術とは、自分の身近な街路に建ち並ぶ建築物を、まず自己の記憶の中に、より詳細にイメージとして、取り込むことから始めるのだ。
まず脳裏に自分の家をイメージし、自分の部屋から外に出て、ゆっくりと街の中を歩き回り、その歩く順序にしたがい、一つ一つの建物や彫刻・広場、そこで出合った事柄を憶えることで、記憶術のツールとしたのだそうだ。

果して、現代の都市においてこの記憶術は機能するのであろうか。
街や建物は個性を無くし、ただただ巨かくなるばかり。記憶の手がかりとするものが無くなり、通りの様相は、記憶の中に落ちていかないのである。

僕たちはおそらく・・・・・、記憶できた風景と、風景を記憶する能力を奪われ始めているのだ。


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Date : 2008.08.01 Fri 19:56  未分類| コメント(-)|トラックバック(-)
 

  

 

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