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土屋公雄のブログ

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前衛芸術運動のパトロン「土岡秀太郎」
「土岡秀太郎」、今となっては彼の名を知る人も、そう多くはないだろう。
北陸・福井の地にあって、戦前戦後の「北荘画会」「北美文化協会」と、地方では異色の前衛芸術運動を、約六十年にわたり築き率いた人物である。
彼は当時福井県の美術・芸術活動が、他県に比べ遅れていることを嘆き、実業家であった父親の援助と数件の家作を処分した金で、1931年(昭和六年)、現在の福井駅前に三階建ての文化施設「アルト会館」を建設。設計も自らが行い、デザインもアール・デコ様式のハイカラ・モダンなものであった。竣工後は若手美術家による展覧会や、北荘画会を中心とする定期展、さらには海外からの企画巡回展や、文化講演会、音楽会など、戦前の地方美術界では例を見ない幅広いジャンルで先駆的イベントを展開し、地域の芸術・文化の底上げに情熱を注いだのである。

生前、僕も一度だけだが秀太郎氏とお会いしたことがある。
当時僕は高校二年生で、初めて出品した北陸美術展に入賞し、(確かあの時は、三里塚闘争を50号のサイズに、モノクロで写実的に表現したものだった。)その授賞式の折、白髪で立派なあごひげを蓄えられた氏から、武生市長賞を頂いたのである。高2の若僧が、三里塚闘争などという社会派的テーマを作品にするのだから、多分氏は僕のことを生意気に思われたことであろう。ただ、あの式典における氏の満面の笑みは、今でも忘れることが出来ない。
残念ながら氏との出会いは、この展覧会授賞式が最初で最後となった。そして十年後の1979年、土岡秀太郎は83歳で帰らぬ人となる。
晩年まで親しく付き合いのあった評論家で金津創作の森館長 針生一郎氏は、「もう二度と、あのような人物は出ないであろう」と、地方が主体となり、芸術・文化を運動にまで高めた土岡秀太郎を評価している。

しかし、秀太郎氏亡き後も長男である土岡秀一氏が、父の遺志を受け継ぎ福井の芸術・文化向上のため、福井新聞社にて辣腕を振るわれる。以降僕は、土岡秀一氏から様々な美術におけるアドバイスを受けることとなる。
土岡氏とは、福井新聞社退職後の現在もなお、お付き合いをさせていただいており、いずれにしても、現在の僕があるのは「故土岡秀太郎」そして「土岡秀一」。この両氏との出会いがなければ考えられないのである。

故土岡秀太郎が生前残した言葉の中に、「個性的な仕事をしながら、しかも作家たちがいつも地域社会の文化向上に関心を持ち、共同して社会に貢献し、働きかけること。こうした芸術運動に主体的な役割を果たす中で、個々の作家の仕事も発展していく」。まさにこの言葉は、今の美術界、否昨今叫ばれる地域に根ざす芸術普及活動に、最もふさわしい言葉だと思うのは僕だけだろうか。


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Date : 2008.01.06 Sun 07:44  未分類| コメント(0)|トラックバック(0)

  

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