土屋公雄のブログ

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「まほろば」
「倭(やまと)は国の真秀(まほ)ろば」という古語がある。この「まほろば」の意は、なんと優れた、いわゆる日本の国とは如何に美しい国であろうかと言っているのである。さらにここで美しいとは、大和の国は山並みが素晴らしい、山の稜線が独自に麗しい景観を持っていると謳(うた)っているのである。
だが、現代においてこの言葉は生きているのか。
先日も新幹線車中より見た山並みには、そのほとんどの稜線に送電線が走っていた。この事は現代の我々が「まほろば」と引き換えに便利さを勝ち取った結果である。しかしここで便利さと引き換えにした「まほろば」とは何だったのか。
連日の様、新聞・マスコミ等では自然保護・ゴミ公害・環境問題が取り上げられている。さらに一度死にかけた倫理・道徳といった言葉も息を吹き返したかの様、目に耳にしない日は一日とない。現代の我々は昭和という時代において合理・消費・拝金主義にどっぷり浸かり、進歩という名のもとに様々なものを破壊してきたのである。まさに消費という言葉は、単に物質だけではなく、人の心まで消費してしまったのは事実であろう。
只ここで現代人に欠如したものは、倫理・道徳だけなのだろうか?
冒頭にも記した「まほろば」とは、日本人が歴史的に培ってきた一つの美意識である。路肩などへ無造作に捨てられたゴミや空き缶等を見るとき、それらは山の稜線を破壊した送電線、乱立する標識・看板・電柱とも同等性の評価のものであり、この事はまさに日本人が本来持ち続けた美意識をも捨ててしまったことになる。

<福井新聞 「けさの随想」から、 平成4年(1992)8月19日>


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Date : 2014.04.24 Thu 12:40  未分類| コメント(-)|トラックバック(0)
 

  

 

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