土屋公雄のブログ

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森には文化がある
 安藤広重の東海道五拾三次や木曽路街道六拾九次を見ていて気づいたことがある。
 それは彼の浮世絵に、木の無い山が数多く描かれていることだ。これはあえて木を描かなかったのではなく、広重が活躍した江戸時代は山の木を切りすぎて、山自身が荒れてしまっていたのだ。ただ、今の日本の森林は広重の時代とは逆に、木を切らないことで荒廃してしまっているのが現状だ。戦後右肩上がりの成長を続けてきた日本の林業も、昭和四十年代の木材輸入の自由化によって一変してしまい、安い輸入材に押されて、国産材のコストが合わなくなってしまったのが最大の要因である。
 昔から日本には国を治めるものは山、つまりは森を治めるものであり、森を守る者が国を治めるものとの考えがある。それは手入れの行届いた森林は災害防止になり、もし災害が起きたとしても、森の木々は木材として家屋の再生や、財政復興に役立つものとして重要視されてきたからだ。

 最近僕は林業に携わる人たちとの出会いが増えた。そこで専門職の彼らが異口同音に、近い将来の日本の森・自然への危機を語られるその内容には、背筋が寒くなる思いがする。
 本来、森林は日本で唯一の再生可能な資源である。国が政策として林業に目配りし、計画的に伐採や植林を繰り返すことが、緑豊かな国を治めることになる。さらに日本の森林が、健全な自然の役割を取り戻す為には、森林をこれまでのよう経済的な視点だけでみるのではなく、我々生命の源として捉えることが必要である。ここでは森林を、未来を見据えた本質的生命循環の場として向き合うことが必要なのだ。その一つの軸となるのが文化である。日本には古来より、「森」が文化を支え育んできた歴史がある。「森」は風土や食生活、輪廻思想とも深く結びつきながら、独特な日本人の精神的基盤を形成してきた。我々の祖先は「森」と共に生きながら「森」を畏怖し、木は神が宿る聖なるモノとして受け止めながら、信仰や宇宙とも繋がっていたのだろう。まさに日本人の柔軟な思想や発想は、この森の文化によって芽生え培われてきたものなのである。

 我々は今、縄文より受け継がれてきたこの森の文化を、生命環境の原点と意識する時がきているのだ。・・・・・新年、アトリエの小さな森を歩き回りながら確信した。


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Date : 2011.01.10 Mon 17:40  未分類| コメント(-)|トラックバック(0)
 

  

 

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