初期の僕の作品に、「Moon」と題したものがあるのだが、この作品は15個(或いは30個)の木片を、月の満ち欠けのイメージで弧を描くよう(また、円を描くよう)壁にインスタレーションしたものである。すでにこの作品はシリーズとして十数点制作し、最近では木片から欠けた皿を素材としたものもあり、東京都現代美術館にはその中の「ヴァシビエールの月」「月のかけら」の二点が収蔵されている。この作品を作る切掛けとなったのは、森で拾い集めた木片をアトリエでながめている時、その一つ一つの木片の形が、月の満ち欠けとして新月から上弦へ、また満月をへて下弦へと向かう月の形に見えたことからである。
僕はこれまで様々な国でこの作品を制作してきたのだが、それは月と人間の不変的関係性、さらに生命と月の普遍的原理を表現したいという思いからだ。
「月と不死」の話は世界各国にある様だ。弓のような三日月から満月へ、それが徐々に痩せ細ろへついには消え、そして再び新月から新たなるサイクルを繰り返す月。古代より我々人類は、この月の満ち欠けに生命の死と再生を見、生死を繰り返しながら永遠に続く不死のイメージを読み取っていたのだろう。
「月」にまつわる生命の回路。生命的時間の観念は、めぐることで永遠を目指す「魂の延長」とも言えよう。・・・・・なぜなら、人間には時間を感じ取る為の心というものが存在しているのだから。
僕はこれまで様々な国でこの作品を制作してきたのだが、それは月と人間の不変的関係性、さらに生命と月の普遍的原理を表現したいという思いからだ。
「月と不死」の話は世界各国にある様だ。弓のような三日月から満月へ、それが徐々に痩せ細ろへついには消え、そして再び新月から新たなるサイクルを繰り返す月。古代より我々人類は、この月の満ち欠けに生命の死と再生を見、生死を繰り返しながら永遠に続く不死のイメージを読み取っていたのだろう。
「月」にまつわる生命の回路。生命的時間の観念は、めぐることで永遠を目指す「魂の延長」とも言えよう。・・・・・なぜなら、人間には時間を感じ取る為の心というものが存在しているのだから。
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