土屋公雄のブログ

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惜しまれる死 「眞板雅文」 
 眞板さんが亡くなったという訃報には、本当に驚いた。
最後にお会いしたのは、丸の内でのレセプションの時だから、すでに一年以上前になるが、あの時は海外での展覧会の話などをされ、今後の展開に意欲十分といった様子だった。
 僕もこれまで、眞板さんとは何度か展覧会をご一緒させていただいた。なかでも2000年、ヘルシンキ・テーレ湾でのプロジェクトは思い出深いものがある。彼は、僕や戸谷さんより早めに現地入りし、余裕を持たれ制作されていた為であろうか、共同で滞在していたレジデンスでも、眞板さんが一番そこでの生活をエンジョイされていたようだ。
 彼の面倒見の良さには定評があるが、僕などは彼の手料理による朝食や夕食を何度ご馳走になったことか、そしてその料理の何と美味しかったことか。また食後は食後で、遅くまで飲みながら芸術談義をしたものである。しかし翌朝は決まった時間に起床され、宿舎近くの湖を散歩されていた。
 我々は毎朝9時には制作現場に入り、夕方5時ごろまで作業をした。皆、連日の肉体労働のためか、宿舎への帰路、湖畔の小さな売店でアイスクリームを買い、眞板さんも僕もアシスタントの方々も、それを食べながら帰るのが楽しみだったことを覚えている。
 そして忘れてならないのは、僕はこのテーレ湾プロジェクトで大きな出会いを得たことである。それは眞板さんの友人として来られていた清河宗翠さんとの出合であった。清河さんとは現在もお付き合いをさせていただき、2003年、下山芸術の森・発電所美術館でのインスタレーションは、彼にアシストして頂かなければ成立しない展覧会であり、彼からはこれまで多くの事を学ばせていただいた。これも眞板さんによって繋がった、貴重な人間関係であり、僕の宝である。

 これまでの眞板雅文の仕事にはいくつかの変遷がある。ただ近年の作品は「場」や「自然」と深く結びつくことで、その表現はさらなるダイナミズムへと生まれ変わっていた。
 64歳の死は、あまりに早過ぎる。また一人、尊い現場アーティストがいなくなった。・・・・・耳を澄ますと、眞板さんの豪快な笑い声が聞こえてくるようだ。

 謹んで、眞板さんのご冥福をお祈り申し上げます。・・・・・合掌


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Date : 2009.03.24 Tue 08:52  未分類| コメント(-)|トラックバック(-)
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