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土屋公雄のブログ

遠く忘れていた詩人
 最近柄にもなく、シェリーの詩を読んだ。否、読んだと言うよりは読み返した。
バーシー・ビッシュ・シェリーは、英国ロマン派を代表する詩人である。イギリスにおけるロマン派とは、ウィリアム・ブレイクを筆頭にワーズ・ワースやコールリッジによって本格的となり、さらに19世紀に入りバイロンやキーツ、シェリーといった情熱的詩人を生んだのだ。
 シェリーの詩風は、当時の英国因習に囚われない理想主義的なものであり、深い人間愛と革新的感情に満ちている。それは彼の生き方そのものが純粋且つ破天荒なもので、彼の死後、その影響は文学の枠を超え、多くの社会変革を唱えた人々に及んだとされる。彼が詩作を始めるのは23歳の頃とされ、30歳前にはこの世を去ったのだから、その詩作期間はわずか8年にも満たない。ちなみに、シェリーの最後の旅となったイタリア。彼はその西海岸スペチア湾で暴風雨に襲われ溺死するのであるが、遺体発見後、その上着のポケットにはジョン・キーツの詩集が入っていたとされる。

 「人間は、なぜ詩をつくるのだろう・・・・・。」と、素朴な疑問が脳裏に湧く。
かつて言葉の存在しない時代なら、彼らの思いは純粋な叫びであり、リズムや踊りで表現されたのだろう。そしてそれらは人間と自然が結ばれるための媒体であり、コスミックなものであったと考えられる。ただ現代は、言葉があまりに機能となり、符号化され過ぎたよう思う。本来言葉とは、社会的な意味以外に、もっと肉感的で実体的なものであり、生命的な力を持ったものだ。従って詩とは、人間が生きていることの証であり情熱であり、その情熱は当然、宇宙的な生命のあらわれでなければならないのだ。

 ロマン派の天才詩人バイロンとシェリーは、親友同士だったと言う。
その二人が英国を離れ滞在していたのがスイス・ジュネーバ湖のほとり。僕も30年前に訪れたことのある、それは美しい避暑地であった。その地でつくったシェリーの詩がある・・・・・。

「見えない力の不可思議な影が われらの間に漂っている
 花々は風のように ゆらゆらとこの世界を訪問する
 松林に注ぐ月光のように あちこちと定めなく 人々のもとを訪れる
 黄昏の光のように 星明りに照らされた雲のように たゆたう音の余韻のように
 優美というより神秘が似合う 得体の知れぬ影のように
 ・・・・・
 少年の頃 私は聖霊を求めて懺悔の部屋や 洞窟や廃墟を探し回り 
 星明りの森をさまよい 求め続けた
 死んだ聖人たちとの魂の交流を 小さい頃に教えられた尊い名を叫びながら
 だが私の声は届かず 得るところは何もなかった
 あの人生の一時期 
 あたたかい風がすべてのものを生き生きとさせ 鳥が歌い 花々がはじけるとき
 深いもの思いに沈んだ私に 突然美の精霊が影をさした
 私は叫び 恍惚のうちにこぶしを握った

 それ以来私は自分の力を美に捧げた その誓いは今も固い
 高鳴る心とすばしこい目で 悠久の美の幻影たちを
 声なき墓場から呼び起こしては 幻想的な寝床から喜びに満ちて 
 夜のしじまを眺め渡した
 どんな喜びも希望がなければ 無邪気に喜ぶことはできない
 世界が暗黒から解放されることもない
 美こそが おお愛すべき不可思議なものよ 言葉では現せぬものをもたらしうる

 かくて私の日々は厳かで穏やかなものとなり
 人生の真昼を過ぎた今 調和に包まれている
 今は秋 空は晴れやかに輝き
 夏の間は見えなかったものが今は見える 存在しなかったものが存在する
 美の精よ 自然の真の姿を たよりない私のために現してくれ
 生きていく私のために平安を与えてくれ 何よりもお前を賛美する私のために
 美しさのあらゆる形を示してくれ 晴れやかな妖精よ 私に呪文をかけてくれ
 自分をつつしみ 他人を愛することができるように」


 ・・・・・眼を閉じて、遠くジュネーバ湖に思いを馳せてみる。
満天の星と湖を渡る風、そして湖畔を歩くシェリーとバイロン。耳を澄ますと二人の会話が聞こえてくるようである。


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Date : 2009.02.28 Sat 08:18  未分類| コメント(-)|トラックバック(-)