土屋公雄のブログ

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表現の意味「自分に疑問を持つこと」 
 現代に生きる我々は、中世の人間が一生かかって得た情報の量に相当するイメージを、一日のうちに洪水のよう浴びているのだろう。この膨大な情報と多義的な解釈を前に、「自分について知ること」、「自分と出会うための勇気を持つこと」は、最も困難で時間のかかることかもしれない。

 しかしながら表現という行為は、自分を客体化する行為であって自分を見つけ出す大きな手がかりとなる。表現とは、決して自己の内側に留め収束されるものではなく、外部の社会や他者との関係性によって、自己の様々な問題を明らかにしてゆくものである。他者への自己投影は、「自分について知ること」、自己を確認する作業なのである。さらに表現という行為は、多様な世界と交わることで、多様な他者を発見しながら新たなる自己を作り上げてゆくことでもあるのだ。

 自分が自分と出会うことの最もシンプルな方法は、鏡の前に立つことだろう。
鏡に写った自分を見ることは、自分の姿かたちがいつもの自分であることを、鏡を通して確認する行為だ。そこでよく言われることに、作品とは表現者自らを写し出す鏡であり、表現によって自己を客観的に捕らえることが出来るのだと・・・・・。ただ、作品が鏡と同等の役割媒体になり得るためには、その表現が他者(鏡)に届くものになっていなければならない。他者の意識の中に、その表現としてのメッセージが浮かび上がらない限り、他者との共振は成立せず一方通行になってしまうからだ。

 今年も土屋研究室のゼミ生たちは、大学のスペシフィックな場をステージに、縮尺ではなく等身大のスケールで、実験的且つ創造的な空間を作り上げてくれた。キャンパスというパブリックな場での制作行為は、様々なリスクやノイズに悩まされながら自己の表現を成立させなければならず、最終的な作品もさることながら、その混沌の中での行為・プロセスに尊い表現のアクチュアリティがあるものだ。

 彼らはそれぞれに、自己の客体としての作品を他者(社会)へ表現することで、自分に対する疑問を問うているのである。


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Date : 2009.01.23 Fri 09:48  未分類| コメント(-)|トラックバック(-)
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