土屋公雄のブログ

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落書き少年だった頃
とにかく、絵を描くことが好きだった。描くことは、三度の食事と同じ程、生活の一部であり、次から次へとイメージは浮かんできた。僕にとってのスケッチブックは広告紙。チョークを持てば、家の前の道路は一時間もすると、延々と続く絵巻のよう。夏の日、小学校の校庭に、棒切れで引っかき描いた地上絵。ブロックの壁には、巨大なあみだクジ。雨の日、曇りガラスに指でなぞった風景画。雪が降れば、新雪に転げ廻り身体で描いたステゴザウルス。夜、布団に入れば眠りにつくまで、天井の染みとのにらめっこ。いつしか頭の中には壮大な森が展開し、そして、それは夢の中で描かれた。
子供の頃の落書きの思い出は数限りなくある。なかでも一番印象に残る落書きは、母との知恵比べで描いた、箪笥の裏の戦争画。
当時僕の家は、部屋と部屋とが襖で仕切られ、その襖越しに箪笥があるといった具合で、箪笥の裏の襖は、めったに開くことがなかった。したがって、ここに描かれた落書きは、引越しするまで誰にも気付かれることはなかった。あの箪笥の裏は僕にとって、秘密のキャンバスだったのだ。

僕が本格的な美術と出会ったのは、小学校の高学年。毎月、父が仕事で上京する際、当時、直江津回りの夜行列車は優に十時間はかかったものだが、そんな長旅も苦とも思わず父のお供をした。それは、父の仕入先が御徒町にあり、上野公園が近いことから、僕は父の仕事中、一人旧都美術館を見ることが出来たからである。もちろん父も、子供である僕が美術館の中にいることで、安心して仕事が出来たのだろう。
落書き少年の僕にとって、美術館は遊園地とも違う、不思議で、それでいて刺激的な場所であった。石造りの建物内部には、絵画や彫刻がところ狭しと展示され、都会のおしゃれなインテリ達が、足音・話し声に気づかいながら作品を見ている姿は、子供ながらに聖域的場所にも思えた。きっと美術館という特別な空間には、それまでの日常にはない特別な匂いと時間が支配し、好奇心旺盛な田舎の少年には、無国籍で魅惑的な、それでいてちょっぴり大人の世界にも感じられたのだ。
多分その頃からだろう、僕が美術という表現、芸術という世界を意識し始めたのは。

僕は美術館が閉館されるまで、繰り返し展示室の作品、その雰囲気を楽しんだ。
そして日が暮れ始めた頃、僕はいつもの待ち合わせ場所である西郷さんの銅像の前で、仕事を終える父を待っていた。


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Date : 2007.07.30 Mon 00:07  記憶のかけら| コメント(0)|トラックバック(0)
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