このところ、植村直己に関するT.V番組、あるいは雑誌の記事が目に付くようになった。ただ 今の若者にどれだけ彼を知るものがいるのか。植村は日本人で始めてエベレストに登頂、さらに世界初の五大陸最高峰のすべてに立った男である。1976年には北極圏を犬ぞりで2年がかりで旅し、78年北極点単独行、そしてグリーンランド横断を成しとげたのだ。冒険家・植村は、常にアドベンチャー精神を前面に出し、自分を酷使し挑戦し続けた。そんな植村に心奪われたのは、彼の最初のエッセイ「青春を山に賭けて」に出会ってからである。
当時の僕は、目標も持ちきれず、何をやっても中途半端。自分に出会うことのリスクからも逃げていた時期である。そんな時、僕と同じ田舎もので、コンプレックスの固まりである青年・植村の、夢に向けてひたむきに前進する姿を記録した、植村ダイアリーとも言えるこの一冊は、僕に、足を一歩前に出す勇気を与えてくれたのだ。
1981年イギリスでの長期滞在、89年ロンドンへの留学の際にも、僕は植村の文庫本を持参した。
「自分にとって何が大切なのか。」「一度しかない人生で、何を自分の正面に置いて生きていくのか。」僕のこんな疑問そして不安に、いつも彼は「とりあえず、とりあえず目標を持て、そして歩き始めろ。」「とにかく歩け、歩いていれば誰かに会える、どこかに着く。」「考え・思い悩むより、とにかく全身を使って歩け。」と語りかけ、いつも僕の心の奥へ、エールを送り続けてくれた。
1984年2月16日 享年43歳。 植村が消息を絶って長い時間がたった。あの日マッキンリーで何があったのか。ただ僕の中で、彼は死んではいない。
植村直己・・・・・。五十を過ぎた僕にとって、いまだ気になる存在であり、最近では、人間・植村に心奪われている。
「青春を山に賭けて」この一冊は、永遠に僕のバイブルだ。
当時の僕は、目標も持ちきれず、何をやっても中途半端。自分に出会うことのリスクからも逃げていた時期である。そんな時、僕と同じ田舎もので、コンプレックスの固まりである青年・植村の、夢に向けてひたむきに前進する姿を記録した、植村ダイアリーとも言えるこの一冊は、僕に、足を一歩前に出す勇気を与えてくれたのだ。
1981年イギリスでの長期滞在、89年ロンドンへの留学の際にも、僕は植村の文庫本を持参した。
「自分にとって何が大切なのか。」「一度しかない人生で、何を自分の正面に置いて生きていくのか。」僕のこんな疑問そして不安に、いつも彼は「とりあえず、とりあえず目標を持て、そして歩き始めろ。」「とにかく歩け、歩いていれば誰かに会える、どこかに着く。」「考え・思い悩むより、とにかく全身を使って歩け。」と語りかけ、いつも僕の心の奥へ、エールを送り続けてくれた。
1984年2月16日 享年43歳。 植村が消息を絶って長い時間がたった。あの日マッキンリーで何があったのか。ただ僕の中で、彼は死んではいない。
植村直己・・・・・。五十を過ぎた僕にとって、いまだ気になる存在であり、最近では、人間・植村に心奪われている。
「青春を山に賭けて」この一冊は、永遠に僕のバイブルだ。
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