土屋公雄のブログ

スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


ポッチと押して頂ければ励みになります。ありがとうございます!
kimio Tsuchiya Official Website はこちらからどうぞ

Date : --.--.-- -- --:--  スポンサー広告| コメント(-)|トラックバック(-)
夢のあとに
幼い頃の記憶だが、生家の薄暗い階段の途中、踊り場のような空間に、僕はいつもからだを猫のようにまるめ眠るのがくせでした。
階段は、一階のお店(時計店)と二階の住居を繋ぐもので、踊り場の脇には、父が時計を修理する為の材料棚が置かれ、壁には無数の柱時計が掛けられ、せわしなく時を刻んでいた。
ただこの記憶、決して幸せな記憶ではない。心のどこかに不安を感じた時や寄る辺ない時、雨降りが一日続き外にも出られず、誰にもその不満をぶつけられないような時に、僕は機械油と床の匂いのするその場所で眠るのだ。そして眠りの中では、いつも遠くから父と母の声が聞こえていた。
子供の頃の昼寝とは、たくさんの夢を与えてくれるのだが、夢から覚めた後の浮遊感そして所在なさとは、この上なく子供の心を不安にするのである。

長雨が続いたあとの晴天日に、必ず母は家中の布団を大屋根に広げ干すのだが、子供の僕は母の眼を盗み、その広げられた布団の上で眠るのが好きだった。
太陽の光で暖められた布団に包まれ眠るのは格別で、とろけ出しそうな身体感覚と、まぶたの裏に広がる永遠の光が、不思議な胸騒ぎを与えてくれた。

夏の雨上がり、にわかに押し寄せる水蒸気の匂い。それまでトタン屋根を熱していた太陽光が、突然の夕立で熱を奪われ、そして再び熱を取り戻した時、なにやら甘い蒸気を発するのである。これまで何度この匂いを嗅いだことか。


スポンサーサイト

ポッチと押して頂ければ励みになります。ありがとうございます!
kimio Tsuchiya Official Website はこちらからどうぞ

Date : 2014.09.16 Tue 15:31  未分類| コメント(-)|トラックバック(0)
「まほろば」
「倭(やまと)は国の真秀(まほ)ろば」という古語がある。この「まほろば」の意は、なんと優れた、いわゆる日本の国とは如何に美しい国であろうかと言っているのである。さらにここで美しいとは、大和の国は山並みが素晴らしい、山の稜線が独自に麗しい景観を持っていると謳(うた)っているのである。
だが、現代においてこの言葉は生きているのか。
先日も新幹線車中より見た山並みには、そのほとんどの稜線に送電線が走っていた。この事は現代の我々が「まほろば」と引き換えに便利さを勝ち取った結果である。しかしここで便利さと引き換えにした「まほろば」とは何だったのか。
連日の様、新聞・マスコミ等では自然保護・ゴミ公害・環境問題が取り上げられている。さらに一度死にかけた倫理・道徳といった言葉も息を吹き返したかの様、目に耳にしない日は一日とない。現代の我々は昭和という時代において合理・消費・拝金主義にどっぷり浸かり、進歩という名のもとに様々なものを破壊してきたのである。まさに消費という言葉は、単に物質だけではなく、人の心まで消費してしまったのは事実であろう。
只ここで現代人に欠如したものは、倫理・道徳だけなのだろうか?
冒頭にも記した「まほろば」とは、日本人が歴史的に培ってきた一つの美意識である。路肩などへ無造作に捨てられたゴミや空き缶等を見るとき、それらは山の稜線を破壊した送電線、乱立する標識・看板・電柱とも同等性の評価のものであり、この事はまさに日本人が本来持ち続けた美意識をも捨ててしまったことになる。

<福井新聞 「けさの随想」から、 平成4年(1992)8月19日>


ポッチと押して頂ければ励みになります。ありがとうございます!
kimio Tsuchiya Official Website はこちらからどうぞ

Date : 2014.04.24 Thu 12:40  未分類| コメント(-)|トラックバック(0)
「サクリファイス/犠牲」 
 今年もまた、3月10日がやってくる・・・・・。
 10万人以上の民間人が亡くなったとされる東京大空襲から69年が経ったのだ。墨田区横網の東京都慰霊堂では、戦災と関東大震災の犠牲者を悼む春季慰霊大法要が行なわれ、式典には大勢の関係者や遺族の方が参列されることだろう。
  同公園内に「東京空襲犠牲者を追悼するモニュメント」を制作したのは2001年春だから、すでに完成から13年が経ったことになる。完成後も四季の花壇デザイン・コンペ審査や植栽監修に関わり、恒例となった犠牲者名簿納め式には、記念碑制作者としてセレモニーにも参列させていただき、モニュメント・デザインの由来や記念碑への思い、また制作時の後日談を会場に集まった遺族の方々にお話してきた。

 そこで今年も納め式を間近にして・・・・・、今朝アトリエに向かう車の中、ラジオから次のようなニュースが飛び込んできた。・・・・・その内容とは、

 東京への本格的な空襲は昭和19年11月から翌年の8月まで106回繰り返され、昭和20年(1945年)3月10日が最も大規模で、その空襲でおよそ10万人の犠牲者が出たとされているのだが・・・・・。都内で東京空襲を研究するグループが、新たに見つけた名簿をもとに3万人の犠牲者を分析した結果、その犠牲者のうち約40パーセントが子供たちだったというのだ。研究者グループは、国は当時疎開を推奨していたものの、家庭の経済的な事情や、中学生以上は勤労動員に駆り出されたりして、実際は多くの子供たちが東京に残り、犠牲になったとみられている。
  犠牲者のうち、0歳から9歳までが最も多い20パーセントを占め、ついで10歳から19歳までが18パーセントと、子供たちが38パーセントも占めていたのだ。さらに研究者は「多くの子供たちは東京にとどまらざるをえず、空襲という過酷な状況の中で力尽きるケースもたくさんあったと思われる。」と語っていた。

 いつの時代どこの国でも、戦争で犠牲になるのは弱者としての子供たちである。
今年も納められる犠牲者名簿の中には、傷ついて逃げ惑い、不安と苦痛の中で両親の名を呼びながら命尽きた子供たちがいるのだろう。

 常に思うことだが、戦争のない時代に生きられることが、どれほどありがたいことか。  
平和とは、多くの尊い犠牲のうえに築かれているのである。3月10日を間近に控え、改めてこの平和に、心より感謝したい。


ポッチと押して頂ければ励みになります。ありがとうございます!
kimio Tsuchiya Official Website はこちらからどうぞ

Date : 2014.02.28 Fri 13:12  未分類| コメント(0)|トラックバック(0)
母の法要と小旅行
 母の十三回忌、今年も京都・智積院で無事法要を営むことができた。・・・・・有難い。前回は父の十七回忌のときだから、すでに3年前になる。しかし両親が他界し、すでにこれだけの時が経ったのか、なんとも早いものだ。僕自身、歳を取ったと感じるのも無理からぬことである。

 智積院は三十三間堂から徒歩でわずかの距離にあり、真言宗智山派の総本山である。院内には長谷川等伯やその息子・久蔵作とされる「桜図」など、桃山を代表する障壁画が収められ、大書院東側は、利休好みとされる名勝庭園が広がっている。今年は大震災のせいもあってか、境内に観光客もまばらで、法要の後は池を見下ろす縁に座り、母の記憶と共に超日常的なひと時を過ごす事ができた。
 すでに恒例となっているのだが、両親の供養の際には前日京都に一泊し、福井から来た姉そして妻・家族と名所を巡り、美味しい食事をし、ゆったりとした時間を過ごすのが楽しみである。確か前回は、南禅寺の傍にある山県有明別宅の無鄰菴に訪れ、庭を観ながらお抹茶を頂いた。今回は東山にある「菊乃井」で懐石を食べ、その後高台寺を拝観した。この寺は、豊臣秀吉の正室「ねね」が、秀吉の菩提を弔う為に建てた寺である。従って「ねね」のイメージからか女性的で優美な感じのする禅寺だ。(さらに「ねね」は、現在NHKの大河ドラマで宮沢りえが演じているせいか、僕にはこの二人がダブってしまっている。)ただ、今回僕の目的はこの寺の庭を観ることだ。作庭師・小堀遠州の代表作とされる「鶴亀の庭」は、境内中央開山堂を挟み込むよう左右に「臥龍池」と「堰月池」が配置され、さらに方丈前庭の枯山水と、それら全てが東山の山緑を借景とした見事な美庭である。春にはしだれ桜、秋には紅葉、それぞれの季節に水面に映しこまれる絶景も、さぞや幻想的なことであろう。さすが遠州作・高台寺の庭は国の名勝庭園と謳われるだけあって、心奪われる空間造形の連続だった。

 今年の法要は、一日予備日を取って京都の帰り奈良に立ち寄ることに決め、奈良では以前より宿泊してみたいと思っていた奈良ホテルに予約を入れていた。
 このホテル、東京駅舎や日本銀行と同様、日本を代表する建築家・辰野金吾の設計による桃山御殿風檜造りの建物で、築100年を超える歴史と伝統はもとより、和洋折衷の融合美は当時のオリジナルとしも貴重なもので、優雅で粋を凝らした建築空間には十分堪能することができた。

 翌朝、興福寺参拝の際は、偶然にも月に一度の勤行に立ち会うことができた。読経の流れる中、国宝館に収められた千手観音菩薩や阿修羅像(乾漆八部衆)、乾漆十大弟子立像など、奈良時代の彫刻に仏として向き合うことができた。
 仕事柄、旅をする機会は多いのだが、その土地の史跡名勝をゆっくり味わうことはあまりない。(もちろん時間も十分無いのだが・・・・・。) ただこの歳になると、一期一会がしみじみと肝要に思える。
 今回の母の供養は、心性の深い部分を豊かにしてくれる小旅行ともなったようだ。・・・・・感謝である。


ポッチと押して頂ければ励みになります。ありがとうございます!
kimio Tsuchiya Official Website はこちらからどうぞ

Date : 2011.06.27 Mon 08:16  未分類| コメント(-)|トラックバック(0)
記憶装置「サー・ジョン・ソーンズ・ミュージアム」
 近年、ロンドンに行くと必ず立ち寄るミュージアムがある。地下鉄ホルボーン駅から徒歩5分ほどの、リンカーンズ・イン・フィールズというジョージア朝式住宅街にある博物館で、金融や法曹関係のオフィスが建ち並ぶホルボーン地区に立地しながら、駅前大通りを一本入ると、その喧騒とはまったく無縁の緑豊かな環境の中にその建物はある。博物館とはいえ、この施設はロンドンの中で最も小さなコレクションであり、うっかりすると見つけられないまま通り過ぎてしまいそうな国立のミュージアムだ。

 さてこのミュージアム、イギリスでは著名な建築家ジョン・ソーンズの自邸を公開したもので、18-19世紀にネオ・クラシックのスタイルで活躍した彼の膨大なコレクションが収められている。展示空間である狭い回廊や各室内には、無数の古代彫刻を石膏で型取った断片や石彫レリーフ、中央吹き抜け部にはミイラの石棺、さらに壁面は建築模型・絵画が隙間なく展示され、彼の古代への情熱が、病的なまでに収集されたコレクション群となり所狭しと埋め尽くしている。このマニアックで増殖的な空間、これこそまさに英国の不思議の国の博物館である。
 最近ではHP等で紹介されたこともあってか、日中は大勢の観光客が訪れるようになった。だから僕は、混雑を避けるため閉館の一時間前に入館するのだが・・・・・。このミュージアムは、夕刻の、館内のギャラリーも落ち着きを取り戻し、天窓よりこぼれる自然光が淡く空間を包み込む頃が最も魅力的で、取りつかれたように集められた収蔵物と多少のカビ臭さに包まれつつ、古代ロマンの時空へタイム・スリップすることで、至福の時を過ごすことのできる、お気に入りの場所なのである。
 もちろん、このサー・ジョン・ソーンズに限ったことではないのだが、過去の時間・歴史的なモノが集積されている博物館は、記憶の装置であり、記憶のメカニズムそのものに向き合うことのできる場なのである。たとえ記憶が個々人別々の存在であれ、記憶の多元性を前提とした上であろうと・・・・・。ミュージアムとは、個人或いは人類の記憶を想起させる重要な場所であることは間違いない。


ポッチと押して頂ければ励みになります。ありがとうございます!
kimio Tsuchiya Official Website はこちらからどうぞ

Date : 2011.05.29 Sun 15:42  未分類| コメント(-)|トラックバック(0)
 次のページ >>

  

 

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。